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連載小説『猫と戦争と時計台』第1~23回を期間限定公開

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novel20160412『週刊 東京大学新聞』で2015年8月25日発行から連載している小説『猫と戦争と時計台』(作:牛島俊征、東京大学創文会)。第1回から第23回(2016年4月5日発行号に掲載)を、4月30日まで期間限定公開します。

続きは4月12日発行の新入生歓迎号Ⅰ以降に順次掲載します。

作者の牛島さんの所属する創文会は小説の創作と批評を主な活動とする文芸サークルです。創文会の新歓に関する質問や見学希望の連絡などはこちらのアドレスにお願いします。 soubunkaiwritenovel[at]gmail.com ([at]は@)

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第1回

 東京大学駒場キャンパスの正門を通り抜けた先に、猫の死骸が一つ、こてんと転がっていた。
 三限目の授業も始まり、周囲に人影は少ない。僕は猫の死骸の横にしゃがみ込み、しげしげとのぞき込んだ。初夏の日差しが、僕のうなじをじりじりと焼いている。昨日の夜に雨が降ったためか、湿度が高く蒸し暑い日だった。
 猫としては体格は小柄なほうだろうか。艶やかな毛並みは思わず目を奪われるほどに美しく、一見すると眠っているようにも見える。
 僕はそっと猫の死骸に手を伸ばした。どうしてそんなことをしようと思ったのかは、今に至るまで僕には分からない。
 いずれにせよ、僕はふさふさと黒い毛が繁った猫の背中に手を伸ばし、そっと撫でた。
 その瞬間、僕の頭の中で何かが弾けた。視界が隅の方から、黒く塗り潰されていく。声にならない声が喉から漏れた。そして、僕はその場に倒れた。
「う、うーん……?」
 僕はうめきながら、ゆっくりと首を振った。そして自分が地面の上に寝そべっていることに気付く。
(なんだ? まさか、僕はこんな場所で寝てたのか……?)
 救急車の音が聞こえた。振り向くと、駒場キャンパスの正門前はえらい騒ぎになっていた。
 一台の救急車が、サイレンの音もやかましく、赤いランプをくるくると回している。その周りを取り囲むように、野次馬のような人たちが何重にも輪を作っていた。
 ぱかりと口を開けた救急車の中から、青い上着を羽織った救急隊員たちが吐き出されてきた。そして彼らは、地面に倒れた一人の青年を、えっさえっさと担架の上に乗せていく。
 僕は目を瞬かせた。というのも、担架の上に乗せられている青年の服装が、今日の僕と全くと言っていいほど一緒だったからだ。デニムのシャツにベージュのチノパン、そして黒のスニーカー。
 青年を担架に乗せ終わった救急隊員たちは、彼を救急車に乗せるべくくるりと担架を回転させた。その拍子に、担架に乗せられた青年の顔が僕の方へ向く。
 見慣れた顔だった。というか、どう見ても僕の顔だった。担架の上で今にも死にそうなくらいに血色の悪い顔をしているのは、他ならぬ僕自身だった。
 担架の上で目を閉じてぴくりとも動かない僕の顔を、僕は唖然として見つめた。

第2回

 からからと担架を押しながら、青い上着を羽織った救急隊員たちは、僕の顔をした男を救急車へと運び込もうとする。
 待ってくれ、と僕は叫ぼうとした。それは僕だ、どういうことかは分からないが、そのぐったりとして意識のない男は僕なのだと皆に知らせようと、僕は声を張り上げる。
「ニャーン!」
(…………え?)
 妙なことに、僕の喉から漏れたのは、そんな奇妙な音だった。まるで猫の鳴き声のような、普段の人間生活では絶対に発音することのない音だった。
 どういうことだ、と僕はわけも分からず立ち上がろうとする。
 盛大にこけた。立ち上がったはいいもののうまくバランスを取ることができず、そのまま僕は頭から地面に突っ込んだ。
 うめきながら、僕は顔を上げようと地面に両手をつこうとする。
 だがそのとき、僕は妙な違和感を覚えた。うまく表現できないが、どうも手が毛深くなったような感じがしたのだ。
 僕は自分の右手を見た。黒々とした毛が生え、手の平にはピンク色の肉球があった。
(え? 肉球? 肉球!?)
 ふと横を見ると、昨日の雨で出来たとおぼしき水溜まりがあった。僕は大慌てで、そこに映った自分の顔を確認した。
 黒い毛並みも立派な猫が、そこにいた。
 黄色の目を満月のように真ん丸に見開いて、猫はこちらをのぞき込んでいた。試しに僕が右手を上げると、水面の向こう側にいる黒猫も同じように右手をひょいと上げた。
 改めて自分の右手を見る。手を覆う黒い毛が、風を受けてわずかにそよいでいた。
 震える前足で、自分の頬を引っ掻いてみた。痛い。夢じゃない。
 猫に、なってしまった。
 僕は呆然として、救急車の中に運び込まれる自分を――正確には人間だった時の自分の体を――見ていた。ほどなく救急車は、サイレンの音を鳴らしてその場を去っていってしまった。

第3回

 僕は唖然として正門前の広場に座り込んだまま、無為な時間を過ごした。
 とうの昔に救急車はサイレンの音を鳴らしてこの場を立ち去り、野次馬たちも散ってしまっている。だが僕は、自分が猫になってしまったという事実を受け止めきれず、ぼんやりと座り込んだままだった。
 先ほど気付いたのだが、僕は人間の言葉を喋れなくなっていた。試しに「あいうえお」と言おうとすると、
「にゃ、にゃ、に、にゃー……」
 このザマである。人間と猫とで声帯の構造が違うのだから当たり前と言えばそれまでだが、今の僕には人間の言葉を話せないことは死活問題だった。
 僕はゆっくりと前足を踏み出した。だれか見知った人間を探そうと思ったのだ。言葉は話せなくとも、何らかの手段で意思疎通ができるかも知れない。あるいは、こんな見た目でも僕の正体に気付いてくれる人がいるかもしれない。
 そんな生乾きの粘土みたいに曖昧な希望にも、今はすがらざるを得なかった。
「ぐっ……」
 思わず呻き声を上げる。人間の時には味わったことのない感覚が、僕の脳を揺さぶっていた。
 うるさい。最初に抱いたのはその思いだった。はるか遠く、生協食堂の中で談笑する男女の会話が、一字一句漏らさず鼓膜の奥で反響していた。
 猫の聴覚は人間の数倍優れている。そんな話を以前聞いたことがあったが、こういうことなのか。吐き気すら催しそうになる騒音の中、僕はふらふらと歩いた。
 僕はキャンパスの中をよたよたと歩きながら、生協食堂を目指した。あそこは人が多いから、知り合いに会える可能性も高いと思ったのだ。
 だがあるとき、ふと目の前が暗くなった。びくりと肩を震わせて顔を上げる。思わず悲鳴を上げそうになった。
 そこにいたのは巨大な鳥だった。黒い羽根に覆われた体を小さく揺らして、真っ黒な瞳で僕をじっと見下ろしている。
(カラス!?)
 もちろん僕だって、これまで生きてきてカラスなんて見慣れている。だが問題は、こうして猫の姿で改めて見直すと、カラスは随分と巨大で獰猛そうな鳥であることと――目の前で僕を見るカラスの目は、まるで獲物を物色するかのような色を帯びていたことだ。

第4回

 僕とカラスは、ほんの少しのあいだだけ、無言で互いを見つめ合った。だが次の瞬間、カラスは猛然と襲いかかってきた。
(う、うわっ……!)
 思わず顔を背けたことは、結果的には僥倖だった。カラスのくちばしは、ついさっきまで僕の右眼球があった場所を槍のように貫いていた。くちばしに突き刺されたこめかみは割れるような激痛を伝えてくる。
 逃げる間もなくカラスは僕の上に覆いかぶさり、僕の背中を足でホールドした。動けない。じたばたと僕は手足をばたつかせる。まさしく無駄な足掻き、仁王像のようにカラスは微動だにしない。
 カラスのくちばしが何度も何度も僕の後頭部を突いた。そのつど顔から地面に叩きつけられ、僕はうめき声を上げる。鼻血がたらりと石畳の上に落ちた。
 殺される。その恐怖が、心臓を鷲づかみにして僕を揺さぶった。
 助けて。そう叫ぼうとして、そしてはたと思う。
(だれが、助けてくれるんだ?)
 今の僕は人間ではない、一匹の黒猫だ。ここで喉を枯らして助けを呼んだところで、だれが僕の声を聞いてくれるというんだ?
 絶望が、僕の胸いっぱいに広がった。
 だがそのとき、僕の背中を押さえつけて離さなかった力が、ふっと消え失せた。戸惑いながらも、僕は慌てて振り向いた。
 少し離れた場所に、一匹の猫が立っていた。美しい猫だ。耳はぴんと空を向いて立ち、純白の豊かな毛がしっとりと体表を覆っていた。空色の瞳で、じっと彼女は僕を見つめていた。僕は細い声で言った。
「た、助けて……」
 白猫はこくりと頷いた。ぐっと前足をバネのように曲げ、そして弾かれるように石畳を蹴る。
 僕の横に立ったカラスが、大きな鳴き声を上げた。一瞬で距離を詰めた白猫は、恐るべき早技でカラスの顔を引っ掻いていた。まさしく電光石火、そして次の瞬間にはカラスの目からどろりと血の粒が垂れて落ちる。
 カラスはもう一度耳障りな声を上げたあと、ばさばさと羽の音もうるさく空へ飛び去って行った。その後ろ姿へ向けて、白猫が叫ぶ。若い女性の声だった。
「あ、待て! 逃げるな鳥肉!」
 悔しそうに目を眇めてカラスを見つめたあと、白猫は深々とため息をついた。そして僕へ顔を向ける。空色の瞳が僕の全身をつつと見回していった。綺麗な目だな、と僕はぼんやり思った。

第5回

「おいあんた。生きてる?」
 僕は目を白黒させたのち、阿呆のように口をぽかんと開けた。訝しげにこちらを見る白猫に向かって、僕は叫んだ。
「ね、猫が、喋ってる……!」
 そんな僕の言葉を聞いて、白い猫はきゅっと鼻の付け根にしわを寄せた。ちょうど、人間で言うところの「眉をしかめた」ような表情になる。
「何を当たり前のことを言ってるんだ? あんただって、こうして猫の言葉を喋っているじゃないか」
 そう言われてはたと気付く。この白猫は先ほどから「にゃーにゃー」と鳴いているだけなのだが、不思議とその音の羅列は意味をともなったものとして僕の頭に認識されていた。と同時に、先ほどから僕の口をついて出る鳴き声もまた、明確な意味をともなってこの白猫に伝わっているようだ。
 無意識に、僕の脳が猫語を日本語に、あるいは日本語を猫語に翻訳しているということだろうか?
「あたしの名前はシロだ。あんたは?」
 唐突にそう尋ねられ、僕は面食らった。口ごもりながらも、自分の本名を言う僕。シロと名乗った白猫は「はぁ?」と苛立たしそうな声を出した。
「長いよ。無闇に名前を長くして格好つけたがるのは人間のやることだよ」
 いや、僕人間なんで。
「そうだな。頭の文字だけ取って、クロ。お前の渾名はクロだ。それでいいだろう? お前の見た目にもよく合った、いい名前じゃないか」
 そう言って白猫は頷いた。一方の僕は曖昧に笑ってごまかすことしかできない。
 まあ、名前なんて些細な問題だ。この際猫相手でもいい、僕の置かれた状況を説明しなければ。僕は口を開こうとしたが、
「ああ、ちょい待って」
 突然、シロがすたすたと僕に近付いてきた。そして石畳を思い切り前足で叩く。
 その動作の意味はすぐに分かった。白猫が前足で叩いた場所には、でっぷりと太ったハエが押し花よろしくぺったりと潰れていた。シロは器用に前足でそのハエをつまみ上げたあと、ひょいと口の中に放り込んだ。
「んで、何? なんかあたしに聞こうとしてなかった?」
「ああ、いや……。なんでもないです……」
 シロの口の端についたハエの足を見ながら、僕は言った。

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