この記事は、2016年9月20日号からの転載です。東京大学新聞の紙面を限定公開 お試し読みのご案内の一環で4月28日まで限定公開しています。
前半の記事:生命科学研究で情報科学を活用 大規模データで生命を数理的に捉える①
超高速で計算するコンピューター:スパコン
スーパーコンピューターは超高速で計算を行うコンピューターを指す。日本で最も高性能なスーパーコンピューター「京」は1秒間に1京回計算をすることができ、コンピューターシミュレーションなど莫大な計算量を要する研究に用いられている。
「京」は実際に計算や情報処理を行うCPUを8万個以上搭載し、緊密に連携させることで高い計算能力を有している。東大の白金台キャンパスには1秒間に400兆回以上の計算ができる「Shirokane3」が設置されており、遺伝子配列の処理など生命科学研究に用いられている。

遺伝情報などを網羅的に探索:オミックス
オミックスとは、遺伝情報や遺伝子の発現、タンパク質などを網羅的に探索しようとする研究分野だ。その一つであるゲノミクスでは調べたい対象のDNA配列を全て読み、他と比較するなどして解析をする。
オミックスの発達は測定技術の急速な革新に支えられている。ゲノミクスを例に挙げると、1人の人間が持つDNAは全部で31億塩基対に上り、2003年に人間のDNA配列が初めて解読されたヒトゲノム計画には13年の年月を必要とした。現在は3日ほどで読み取ることができる。また、ヒトゲノム計画はおよそ3000億円の費用を要したが、現在は十数万円でできる。ナノテクノロジーの知見を用いた新しい原理の測定器も開発が進んでおり、製品化されれば1時間以内、1万円以下で全遺伝情報を読み取れるといわれている。
唾液で体質を解析 「ジーンクエスト」
オミックスデータを利用したサービスはすでに始まっている。「ジーンクエスト」は高橋祥子さんが大学院生の時に立ち上げた、日本発の大規模な遺伝子検査、解析サービスを行う企業だ。解析キットを購入して唾液を送付するだけで生活習慣病などの疾患リスクや体質に関わる情報を知ることができる。「生活習慣病などは生活習慣の改善によりリスクを下げることができます。適切な予防ができるからこそ、遺伝的にどれくらいリスクがあるかを知る価値があります」と高橋さんは語る。

15年農学生命科学研究科博士課程修了。博士(農学)。博士課程在学中の13年にジーンクエストを起業。
人間の遺伝子は約30億の塩基対で成り立っているが、その99.9%は全員が共通して持っている。残りの違いの中でも、1000塩基に一つの割合で存在する一塩基多型(SNP)と呼ばれる部分は個人間で異なり、個体差の原因になっている。ジーンクエストでは唾液からDNAを抽出し、約30万カ所のSNPを調べ上げる。
こうして得られたSNPのデータをゲノムワイド関連解析(GWAS解析)と呼ばれる研究で得られた知見と突き合わせることで、体質や疾患リスクなどの情報を知ることができる。GWAS解析とは特定の疾患の人とそうでない人を比較したときに、どの遺伝子が異なるかを統計的に調べる研究だ。GWAS解析の結果、お酒に弱い人は特定のSNSがAの場合が多い、といった相関関係が分かる。遺伝情報は人種の影響を強く受けるため、ジーンクエストでは日本人、アジア人を対象にしたGWAS解析を選定し、遺伝子解析の根拠としている。

「GWAS解析の強みは仮説を必要としない点です」と高橋さん。生物学の研究では、これまでは特定の遺伝子に着目して仮説を立て、データを集めて検証するという流れで行っていた。GWAS解析では先に大規模なデータを集め、疾患と相関を見るため、特定の遺伝子に絞り込んだ仮説を設定する必要がない。「想定外の結果も多く、物事が明らかになるスピードが急激に上がっています」。ジーンクエストでは新しい研究成果が発表されると適宜情報をアップデートし、顧客が遺伝子検査を受けた後でも最新の情報を入手できるようにしている。
今後遺伝子検査が普及し、誰もが自分の遺伝情報を知ることができるようになったらどうなるのか。高橋さんは「自分の体の状態が全て可視化されるようになります」と語る。遺伝情報に加えて遺伝子の発現具合やタンパク質の状態など他のオミックスデータを組み合わせることで、体の状態がより把握できるようになる。「何か調子が悪いけれど原因が分からないという状態も、オミックスデータを得ることで数値化することができるようになる可能性があります」
こうして体の状態が可視化される結果、疾患の超早期発見が可能に。うつ病など、現在は医師の問診に依存している疾患も数値化が可能になり、より精度の高い診断ができるようになる。体の情報が全て分かると、病気の治療についても方針を立てやすい。「治療以外にも、どの運動をすべきか、睡眠はどれだけ取るべきか、どのような食事をすべきかなど、オミックスデータを活用することで多くのことについて方針が見えてくると思います」
遺伝情報をどのように扱うかについては倫理的、法的な基盤が整っておらず、遺伝子情報の管理の仕方、遺伝子検査の結果精神的な負担を負った場合のケア体制、遺伝子差別の問題など議論すべき問題は多く残っている。それでも、遺伝子検査の普及は着実に進んでいる。誰もが自分の遺伝情報を知ることができ、生活に役立てられる。そんな世の中の到来はそう遠くないのかもしれない。
【東大新聞お試し】生命科学研究で情報科学を活用 大規模データで生命を数理的に捉える②は東大新聞オンラインで公開された投稿です。